| □オウガバトルシリーズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| オウガバトルシリーズは株式会社クエストが生み出した『オウガ』の名前を冠した一連のゲームシリーズ。2002年、株式会社クエストは人材及び知的財産権を株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)に譲渡。現在、オウガバトルの版権はスクウェア・エニックスが所有している。 オウガバトルの世界観のプロットは松野泰己氏がクエスト入社時に持ち込んだ企画(OGRE FAN PAGE 参照)でオウガバトルサーガ本編やゼテギネア神話は松野氏が原作者。QUEENの2ndアルバム『QUEEN II』に収録されているOGRE BATTLEの歌詞をモチーフに考え、歌詞や雰囲気を発端にしてイメージを広げていったとのことでタクティクスオウガ段階ではプロットレベルで既に全8章考えていたという。また松野氏が関わっているオウガの副題にはQUEENの曲名が使われている。 ある松野氏のインタビューで、架空世界で歴史や文化など先に設定しその世界の中で実際にあったかのような事件をドラマとして描いていくのが自分の手法、架空の地理・歴史を作り、ある時代のある地域を断片的に切り取っていくことで全体の世界観を描いていくのが好きであると語っており、スクウェア・エニックス在籍当時の『イヴァリース』についても同様の手法がとられている。 松野氏は『伝説のオウガバトル』(1993年)『タクティクスオウガ』(1995年)を手がけ、1995年キャラクターデザインを担当されていた吉田明彦氏、アートディレクターを担当されていた皆川裕史氏と共にスクウェアに移籍。『ファイナルファンタジータクティクス』(1997年)『ベイグラントストーリー』(2000年)を手がける。 (この移籍とは関係ないが『伝説のオウガバトル』でバトルフィールドデザインを担当された原正憲氏はスクウェアで発売された『フロントミッション』(1995年)『フロントミッションオルタナティヴ』(1997年)等を手がけている。原氏は1998年にスクウェアを退社。) クエストは『オウガバトル64』(1999年)『タクティクスオウガ外伝』(2001年)を開発し、任天堂が販売。(松野氏はツイッターでこの2つについては正統な続編としており、ゲームのシリーズもののスタッフが変わることはよくわることで64・外伝について少なくとも黒歴史とは考えていないとのこと。またもし新しい続編を作る必要があれば完全に違う話に作り直するだろうともしている。TO運命の輪では外伝・64の設定にアプローチしていないので明らかに変わった部分はないはずと語っている。ただし一部の設定で64・外伝の設定と違う部分は存在している。またOB64のリメイクについては予定はなく少なくとも自分は関わらないだろうとも語っている) SNKはクエストのライセンス協力を受けて『伝説のオウガバトル外伝』(2000年)を制作・販売した。2001年、SNK倒産後その版権等はプレイモア(現SNKプレイモア)に譲渡。 2002年、クエストの人材及び知的財産権がスクウェアに譲渡され、オウガシリーズの版権もスクウェアが獲得。今後は松野氏が再びオウガシリーズに関わるだろうと語られていた。 2002年9月に発売された雑誌のインタビューによるとオウガについては手が回らない為具体的な予定はないが、FF12やFFTAの作業の合い間に構想を練っていると語る。 2003年4月1日にエニックスとスクウェアが合併し、株式会社スクウェア・エニックスが発足される。 松野氏は2002年3月にスクウェアに入社した元クエストのスタッフが中心となって制作された『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』(2003年)のプロデューサーを担当。『ファイナルファンタジーXII』(2006年)のプロデュースとディレクションを担当していたが、2005年8月1日病気療養のためプロデューサー業務から離れ監修という形でタッチしていると発表。同月末日松野氏はスクウェア・エニックスを退社。後日松野氏はツイッターで、FF12降板・スクエニ退社は公式情報以上でも以下でもない、退職は病とはいえスタッフ・会社・株主・ファンに多大な迷惑をかけたけじめと語っている。 FF12自体は2006年3月16日に発売されている。また松野氏自身は2006年9月14日に配信されたWii開発者インタビューでゲームクリエイターとして久々にメディアに登場。その後松野氏は2009年3月に欧米で発売された『マッドワールド』(プラチナゲームズ開発)のシナリオに参加。同ゲームは2010年2月10日に国内で発売された。 Wiiのバーチャルコンソールで『伝説のオウガバトル』(2008年11月11日)、『タクティクスオウガ』(2009年2月10日)、『オウガバトル64』(2010年1月26日)が配信。(ちなみに松野氏はVC版オウガシリーズについてはノータッチで事情も知らないとのこと) 2010年9月1日スクエニmobileの新コンテンツとしてオリジナル要素を加えたモバイル版『伝説のオウガバトル』をi-modeで配信。今冬auのEZwebで配信予定。 2010年11月11日『タクティクスオウガ 運命の輪』が発売された。 TO運命の輪に関連してインタビューやツイッターの発言によると、松野氏は64もTO外伝も好きであり個人的に面白くなれば続編は誰が作ってもいい、また主役や監督が変わってよくなった映画もありその可能性も否定して欲しくないとのこと。 オリジナルメンバーが集まるのは今作が最後だろうとのことで、集まったのはリメイクを前提としていたから。しかしチャンスがあればいくらでも手がけるとも語っており、オウガに限ってのアイデアだけでもたくさんあるとのこと。次にサーガを作れるとしたらシステムをがらっと変えてみたいと思っている。15年前次作はオウガRPGにしようと考えていたぐらいでゲームシステムのバージョンアップに強くこだわっているわけではないらしい。 現代と違い誰かの都合で命が奪われ虐げられ、人権や命が軽んじられる世界は現実として存在し、ゲームとはいえそういう世界を知ることはひとつの経験になり、正義や生きることについて考えることができるはず、サーガの世界を箱庭のように作り上げてゲームをする=生き抜くことで正義・戦争・生きること・人間とは?というテーマで作ってきた。そういったテーマや世界観を表現できるのであればサーガを作っていく意味はあると思うとのこと。 |
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| □ゼテギネア神話 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| その始源、世界は天と地の区別はなく、スープのような状態であり、ただ虚無だけが満ちていた……。一筋の光がその世界に生まれると、光は闇を作り出した。光からガリンガ、闇からはウンディガという二人の巨人が生まれ、互いにいつ果てるとも終わらぬ戦いを始めた。 この書き出しで始まる「ゼテギネア神話」は紀元前4000〜3000年頃にバルカン半島東岸、エーゲ海、黒海、カスピ海に囲まれた周辺地域で広く信仰されていた。紀元前3000年頃に小アジアを中心とする地域をヒッタイト人によって統一されるまでは、このゼテギネア神話に登場する神々が崇拝の対象となっていた。19世紀後半に大規模な発掘調査が実施されゼンダという名の遺跡から出土した古バビロニア期(紀元前1900〜1700年頃)のものでシュメール語で書かれた粘土書板「古ゼンダ」から詳細な内容が明らかにされた。 世界の創世から人類の誕生、そして神々の戦争等が描かれている。ゼテギネア期の人々にとっては単なる御伽話として扱われることが多く、時代と共に忘れ去られた神や物語も少なくなかったが、自然界を構成する6つのエレメントを治める神々は、人々の心と生活にいつまでも密接に結びついていたという。ゼテギネア大陸ではゼテギネア神話と呼ばれ、ガリシア大陸ではガリシア神話と呼ばれていた。また古ゼンダには、ゼテギネア神話だけでなく数多くの英雄の冒険譚や事件、ゼテギネア期の歴史が記述されている。 (上記はフィクションの設定で神話の原作者は松野氏です) |
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| □世界地図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 位置関係や大陸の大きさはあくまで参考程度 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| □オウガバトル伝説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| オウガバトルとは、悪鬼と人間の、悪魔と神との最終決戦のことを意味する。 神々が人間を創造した頃、魔界では悪魔たちがオウガと呼ばれる鬼達を作り出し、下僕とした。 デムンザの策略によって、人間たちはオウガと大地をめぐって争わねばならなくなった。 戦いは何千年にも及び、人間は天を支配する神を、悪鬼は魔界を支配する悪魔をそれぞれ味方につけて戦い続けた。 しかし軟弱な人間は悪鬼たちの圧倒的な戦力の前に成す術なく、多くの人間が殺され、滅亡の寸前まで追いやられたと言う…。 そんな時、天空から舞い降りた三人の騎士と十二人の賢者たちは、大地と魔界をつなぐカオスゲートを封印し悪魔の助力を断ち切ることに成功した。瞬く間に形勢は逆転し、ついに人間が勝利した。 戦いを終え、三騎士は天空へ戻り、十二人の賢者たちは野に下り地上人に多くの知識を与えた。こうして人間は大地の覇権を手にし、今日まで続く文明を築いたのである。 しかし不安がなかったわけではない。悪鬼たちが地上を去る際、オウガバトルの再来を予言したからである…。 オウガバトルが終結した後になっても、人間は争いを止めようとはしなかった。勝利に溺れる人間は、“争い”は次の文明を生む“礎”だと語る。人間に助力したことを悔やんだ聖なる父・フィラーハは、天界に住む他の神々や戦士たちに下界と関わることを禁じた。 下界を哀れんだ三騎士の一人は命令に背き、いつでも神の助力を得られるようにと一本の聖剣を残した…。 聖剣の名はブリュンヒルド。この剣を持つ者は神と交信出来ると言われており、それは同時に天空や魔界を行き来するために使用されると言う。人々は聖剣を崇め、その剣を密かに隠すことにした。来るべきオウガバトルの再来のために…。 |
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| □オウガバトルサーガ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 古の昔、 力こそがすべてであり、 鋼の教えと闇を司る魔が支配する ゼテギネアと呼ばれる時代があった |
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| この一節で有名な「オウガバトルサーガ」は1895年フランスの調査隊によって発見された。調査隊は古都ダウラ(黒海沿岸の遺跡)より大量の楔形文字粘土書板を発見。「古ゼンダ」と同じく古バビロニア期(紀元前1900〜1700年頃)のものと推定され、神話や英雄伝説を元にしてシュメール語で書かれた一大叙事詩であり、ギリシャ神話を伝えるホメロスの「オデュッセイア」や「イリアス」に匹敵するほどの大発見として世を騒がせた。「古ゼンダ」にも記述されているオウガバトルから大陸統一(紀元前3200年頃)までが全八章で描かれ、大陸を統一したゼノビア王朝の変遷に焦点をおいて脚色されている点が注目されている。 (上記はフィクションの設定で、ゼテギネア神話及びサーガ本編の原作者は松野泰己氏です) オウガバトルシリーズは『オウガバトルサーガ』を共通のバックボーンとしており“何故、人は争い、傷つけ合うのか?”というテーマで物語が描かれている。 ・ 現在までにサーガ本編であるエピソード5・6・7、外伝として皇子の章・オウィスの章が発表されている。 |
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| ※一応補足しときますが、"Episode of Prince""Episode of Ovis"はken'ichiが勝手につけてるだけで、公式のものではないです。また「オウィスの章」という表記は公式のものですが「皇子の章」は公式のものではないです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| □キーワード | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| □ゼテギネア歴史年表 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式の年表に一部付け加えと、推測が入っています。P.Y.=パラティヌス王国暦=ゼテギネア暦
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